[京都ものがたりlocal's Enjoy‐木津川市加茂町] 恭仁宮跡
木津川市加茂町に残る、恭仁宮(くにきゅう)跡。奈良時代から平安京遷都の間、恭仁宮という都が一時期ですがあった場所です。
山城国分寺跡の礎石の上には、今はなき七重塔が建っていたのは、今から約1270年も前のこと。どんな景色が広がっていたのでしょうか。今は緑の美しい景色が広がっています。

恭仁宮跡

山城国分寺跡の礎石

山城国分寺の横にある木造建ての恭仁小学校
木津川市加茂町に残る、恭仁宮(くにきゅう)跡。奈良時代から平安京遷都の間、恭仁宮という都が一時期ですがあった場所です。
山城国分寺跡の礎石の上には、今はなき七重塔が建っていたのは、今から約1270年も前のこと。どんな景色が広がっていたのでしょうか。今は緑の美しい景色が広がっています。
恭仁宮跡
山城国分寺跡の礎石
山城国分寺の横にある木造建ての恭仁小学校
油小路通を南へ下ると東西にと「城南宮通」の道があり、西へ進むと「城南宮」へ続く参道となっていました。
城南宮の鳥居の手前には、手と口を清める手水舎(てみずしゃ)がありました。そして、ペットボトルを片手に菊水若水の井のお水を汲む男性がいらっしゃいました。
お尋ねすると、お近くにお住まいなのでお水を汲みにいらっしゃるそうです。
城南宮の菊水
ペットボトルに菊水を汲む男性
菊水若水の傍の立札には「城南宮の菊水の井の水を飲むと、あらゆる病が治るというので毎日参詣人が絶えない、法皇の歯痛も治った」と江戸時代の随筆に書かれていたという記載がありました。
病ではなかったのですが、城南宮の菊水の井の水でほんの少し元気をいただいて帰りました。
菊水若水の立札
バス停「大覚寺」で降りて、『大覚寺』をちょっと過ぎたら、『大沢池』に入る入口があります。
日本最古の庭池『大沢池』には7月になるときれいに「はす」が咲きます。
『大沢池』の「はす」
『大沢池』
知ってる?納豆発祥の地といういわれがあること。
京北の各地域では、納豆づくりの技術が古くから伝わっている、きっとここには納豆の歴史との関わりがあるのでは、と探ってみました。
八幡太郎と納豆
平安時代後期、源義家、別名「八幡太郎」と呼ばれた武将がいました。源義家は朝廷から陸奥守の命を受けた父頼義とともに奥州(東北地方)へ向かい、前九年合戦で安倍氏と戦い、父の後を継いで後三年合戦で清原氏とともに勝利をおさめ、東国での源氏勢力を確かなものにした歴史上の武将です。.
奥州攻めの折に、馬の糧に煮豆を俵に詰めて出発したところ、途中で発酵して糸引き納豆になってしまいました。兵は腐ったと判断して捨てていたものを八幡太郎が一口食べて、「食べられる」と判断して兵の糧にしたというのが発祥の伝説として残っています。
糸を引いた大豆を最初に食べた八幡太郎の勇気には脱帽です。.
彼が奥州平定の折に北上したこの古道を、食文化研究家の永山久夫氏は、その著書の中で「ナットウロード」と呼んでいます。
具体的に言うと、丹波から、近江、信濃、甲斐、武蔵、浦和、大田原、水戸、磐城、楢葉、相馬、白河、会津、米沢、仙台、岩出山、新庄、横手、平泉、秋田の各地になります。
各地は納豆産地で知られています。秋田では「山国納豆」という名前が引き継がれています。
光厳法皇と納豆
南北朝時代の北朝初代天皇、光厳法皇は晩年、自身が開山した常照皇寺で禅僧としての勤めに精進しました。
地域に伝わる話によると、光厳法皇が煮豆を少しずつ食べて、しばらくすると糸を引くようになり、豆を粗末にできないと思った光厳法皇が最初に食べ、後に村人にも振る舞い、広まったとのことです。
常照皇寺には、光厳法皇の生涯が描かれた絵巻に、檀家に藁つと納豆をふるまっている絵が描かれており、「山国納豆」の木版も残っています。
納豆と常照皇寺の深いつながりが読み取れます。
京北町
京北では、お正月の三が日には「納豆もち」を食べて祝う風習が今でも残っているそうです。
京北の詳細マップはこちら・・・「てくてく見てってやマップ」詳細地図
参考資料)京北商工会「京北が納豆の発祥の地ってほんと?」
参考資料)京北商工会「てくてく見てってやマップ」
参考資料)京北商工会「京北・北山杉」資料
知ってる?大自然ゆたかな京北のこと。京北・北山杉が育つ山々の景色が目にも鮮やかなこと。
京北町 北山杉
京都から周山街道(国道162号)、別名「西の鯖街道」を北に向かって車を進めると、北山杉に囲まれた町に出会います。
「京北」といわれる自然美豊かな地域です。
市街地から車でおよそ40分程度の場所に位置します。.
京北を流れる上桂川は、都への主要な水路として使われ、ここで切り出した良質の木材を筏(いかだ)に組んで嵐山の港まで運んでいた歴史があります。
そして、遡ること、平安遷都。平安京の造営に必要な多くの建築用材に、京北の木材が多く使われていたそうです。
上桂川の流れが平安京へと繋がっているんだ、なんだかうれしくなりました。
京北町 北山杉
真っ直ぐにのびた北山杉の山林、「北山磨丸太」の原材料となる北山杉が育つ山林です。
苗木から数十年をかけて手入れがなされ、樹齢30年前後、長尺では50年位の年月がかかります。
そして、切り出された北山杉を原材料として、樹皮をはぎ、磨き加工をされたものが木肌の美しい「北山磨丸太」となるのだそうです。
北山磨丸太を見ると、木肌の美しさ、独特の光沢、年輪の美しさに心を奪われます。
北山磨丸太は和室の床柱として一般的に知られており、「茶室」等に代表される数寄屋建築の材料として、日本の文化と深いつながりのある高級建築材なのだそうです。
近頃は、木肌の美しさと強靭さを兼ね備えていることから、洋間の飾り柱や化粧柱、また化粧梁など、多用途に使われているというのも納得です。