[地域-京北町] 納豆発祥の地

知ってる?納豆発祥の地といういわれがあること。

京北の各地域では、納豆づくりの技術が古くから伝わっている、きっとここには納豆の歴史との関わりがあるのでは、と探ってみました。

八幡太郎と納豆

平安時代後期、源義家、別名「八幡太郎」と呼ばれた武将がいました。源義家は朝廷から陸奥守の命を受けた父頼義とともに奥州(東北地方)へ向かい、前九年合戦で安倍氏と戦い、父の後を継いで後三年合戦で清原氏とともに勝利をおさめ、東国での源氏勢力を確かなものにした歴史上の武将です。.

奥州攻めの折に、馬の糧に煮豆を俵に詰めて出発したところ、途中で発酵して糸引き納豆になってしまいました。兵は腐ったと判断して捨てていたものを八幡太郎が一口食べて、「食べられる」と判断して兵の糧にしたというのが発祥の伝説として残っています。
糸を引いた大豆を最初に食べた八幡太郎の勇気には脱帽です。.

彼が奥州平定の折に北上したこの古道を、食文化研究家の永山久夫氏は、その著書の中で「ナットウロード」と呼んでいます。
具体的に言うと、丹波から、近江、信濃、甲斐、武蔵、浦和、大田原、水戸、磐城、楢葉、相馬、白河、会津、米沢、仙台、岩出山、新庄、横手、平泉、秋田の各地になります。
各地は納豆産地で知られています。秋田では「山国納豆」という名前が引き継がれています。

光厳法皇と納豆

南北朝時代の北朝初代天皇、光厳法皇は晩年、自身が開山した常照皇寺で禅僧としての勤めに精進しました。
地域に伝わる話によると、光厳法皇が煮豆を少しずつ食べて、しばらくすると糸を引くようになり、豆を粗末にできないと思った光厳法皇が最初に食べ、後に村人にも振る舞い、広まったとのことです。
常照皇寺には、光厳法皇の生涯が描かれた絵巻に、檀家に藁つと納豆をふるまっている絵が描かれており、「山国納豆」の木版も残っています。
納豆と常照皇寺の深いつながりが読み取れます。

京北町

京北では、お正月の三が日には「納豆もち」を食べて祝う風習が今でも残っているそうです。

京北の詳細マップはこちら・・・「てくてく見てってやマップ」詳細地図

参考資料)京北商工会「京北が納豆の発祥の地ってほんと?」
参考資料)京北商工会「てくてく見てってやマップ」
参考資料)京北商工会「京北・北山杉」資料